リーダーシップへの舞台裏Vol.22 ~今を駆ける社長のインタビューシリーズ~
目次
“人々の笑顔と幸せ”を軸に動くビジネス
~明るさは、最高の経営資源~
命に関わる病を経験したとき、人は何を思い、何を変えるのか──。中国赴任や社長就任といった節目を経て、白血病と戦いながらも“明るく、前向き”な姿勢を失わない清田社長。そこには、死を意識したからこそ見えた人生観がありました。今回は、そんな清田社長の“等身大のリーダー論”に迫ります!
【プロフィール】
1970年、福岡県大牟田市生まれ。幼少期から野球に打ち込み、高校には特待生として進学。卒業後は、当時の野球部監督の紹介で、元阪神タイガース選手が経営する兵庫県の有限会社オフィスマユミに入社。その後、複数の職を経験したのち、1991年1月に愛電株式会社(現・愛電ホールディングス株式会社)へ入社。営業職として実績を重ね、西日本地区長を経て中国・上海へ赴任。現地法人の立ち上げに携わる。2012年12月、代表取締役社長に就任。
2023年には急性白血病を発症。幹細胞移植によって命をつなぎ、経営者として再び現場に復帰。現在は「若い人材にチャンスを、65歳定年者に夢を」をキーワードに、次世代への事業承継や人材育成に注力している。自身の経験を通じて、「人々の笑顔と幸せのための経営」を実践中。
プライベートでは、病気療養中のため現在は控えているが、大好きな釣りへの復帰を目指している。
野球少年が歩んだ、
偶然と直感のキャリアヒストリー
倉橋:さて、第22回目となる今回は、愛電ホールディングス株式会社の代表取締役社長、清田淳一さんにご登場いただきます。清田社長、本日はどうぞよろしくお願いいたします!早速ですが、御社の概要や事業内容について、詳しくお聞かせいただけますか?
清田:はい、こちらこそよろしくお願いします。一言でいうと、うちは「FA(ファクトリーオートメーション)」、つまり工場の自動化に関わる仕事をしています。もともとは制御機器を販売する商社だったんですが、今では、コンサルのような立ち位置からスタートして、機械の設計や製作、現場への導入まで、トータルでサポートしているんです。扱うものも幅広くて、小さな部品ひとつから、数千万円、場合によっては億単位の機械設備まで。最近は、DXとかIoT、ロボットを使ったソリューションの提案なんかも増えてきていますね。「制御機器の専門商社」という肩書きではありますが、実際には機器だけじゃなくて、ロボットも、システムも、いろんなことをやっているんですよ。
倉橋:となると、お客様の業種もかなり幅広いですよね?
清田:そうなんです。食品メーカーさんもいれば、タイヤメーカー、機械メーカー、他にもいろいろ。基本的に、工場をお持ちの会社さんであれば、どこでもお客様になる可能性がありますね。テレビとかでトヨタさんの工場が映ることがあるじゃないですか。ロボットが自動で車を組み立てているような、あのイメージです。あとは最近だと、Amazonさんの物流倉庫。荷物がコンベアで流れて、ロボットが仕分けや搬送をしているようなシーンですね。まさに、ああいった現場を支えているのが、私たちの仕事です。
倉橋:まさに“ものづくりの現場を支える縁の下の力持ち”のような存在ですね!こういったお仕事に関わるようになるまで、どのような道のりを歩んでこられたのでしょうか?
清田:私の経歴って、ちょっと変わってるんです。昔から勉強が本当に苦手で、ずっと野球ばかりやってました。いわゆる“野球小僧”ですね。家もかなり貧しくて、高校は野球の特待生として地元福岡の柳川高校に進学しました。高校卒業後は、そのまま就職です。当時の野球部の監督が“神様”みたいな存在で、進路もすべて決めてくれました。就職先は、阪神タイガースで活躍されていた真弓明信さんのお店で、兵庫県にある「有限会社オフィスマユミ」という会社です。表向きはブティックでしたが、私は裏方としてイベントの準備や雑用を担当していました。プロ野球選手って、オフにはゴルフイベントに出たりするんですよ。その裏側を支える仕事で、まさに“下っ端”からのスタートでしたね。その後は職を転々として、いろんな仕事を経験しました。
倉橋:そうだったんですね。様々な職を経験された中で、今の会社に入るきっかけというのは何だったんでしょうか?
清田:実は、母の一言がきっかけだったんです。私が3歳のときに両親が離婚し、母ひとり子ひとりで育てられましたが、一度も「勉強しなさい」などと言われたことがなくて。でもあるときだけ、ふっと言われたんです。ちょうど料理屋で修業しようかと考えていた頃、「お前、せめてボーナスが出るところに入ったら?」って。その言葉が妙に心に残って、求人情報誌を100円で買って見てみたら、今の会社が載っていて、月給16万円、賞与年6カ月分と書いてあって。「ここだ!」って思いましたね(笑)。ちょうどバブル期で深く考えずに応募したら、たまたま面接に初代社長ご本人が来られていて。後から聞いた話なんですけど、本当は採用枠はもう埋まってたそうなんです。でも社長が、「元気なやつがもう1人いたから採ったぞ」って言ってくださったらしくて。営業本部長だけだったら、多分落ちてたと思います。いくつもの偶然が重なって、今の人生につながっているんですよね。
倉橋:そんなふうに流れに身を任せながらも、直感を信じてチャンスを掴みにいく力があったからこそ、今に繋がっているんですね!
工場の自動化=FA(ファクトリーオートメーション)を中心に、DX・IoT・ロボット導入まで幅広い提案を行い、単なる「制御機器の専門商社」にとどまらず、コンサルティングから設計・製作・導入・運用までをトータルでサポートする愛電グループ。扱う機器は小さな部品から億単位の設備まで多岐にわたり、現場密着型の対応力で、ものづくり企業の頼れるパートナーとして成長を続けています。
病とともに変わった価値観──
清田流“前向きな人生哲学”
倉橋:偶然のようで必然だったような、不思議なご縁で今の会社に入社された清田社長ですが、その後、社長になるまでにもいろんな転機があったかと思います。特に印象に残っている出来事ってありますか?
清田:そうですね、まず今の会社に入社したことが大きな転機でした。そして次に、西日本地区長を任されたこと。それから、中国に赴任して現地法人の立ち上げに携わったのも大きかったですね。その後、2012年12月に本社の社長になったのがまた一つ。そして、人生最大の転機と言えるのが、2023年に白血病を患ったことです。最初は白血球や赤血球、血小板の数値が下がっていて、検査入院しただけだったはずが、10日後には「急性白血病です」と告げられて…。唯一の治療法が造血幹細胞移植だったんで、息子2人と娘1人にドナー適合検査をお願いしたんです。結果、全員適合していて、長男から幹細胞を提供してもらって移植を受けました。今は経過も順調で、移植から5年後の完全寛解を目指して治療を続けながら復帰しています。
倉橋:命に関わるような大きな出来事があったにもかかわらず、こうしてお話を伺っていると、清田社長って本当に明るくて前向きですよね。
清田:もともと前向きな性格なんです。そうは言っても、やっぱり最初の1週間くらいは悩んだかな。でも1週間後には「まあ、なんとかなるだろう!」って感じで気持ちが切り替わって。選択肢が移植しかなかったっていうのが、ある意味では迷いがなくてよかったのかもしれませんね。それに、大きな病気を経験した経営者って、案外多いじゃないですか。だから、「俺もいけるんじゃないか?」って(笑)。白血病を乗り越えたら、きっと会社も何百億規模にできるって、本気で信じてるんですよ。これはもう、神様がくれた“俺のためのストーリー”だと思ってます。
倉橋:その発想はまさにポジティブの極みですね…!でも、病気を経験されて、やはり人生観にも大きな変化があったのではないでしょうか?
清田:めちゃくちゃ変わりました。仕事への向き合い方もそうだし、人との関わり方も。例えば、前だったらなかなか言えなかったこととか、言い方が良くなかったことが、今はスッと素直に言えるようになったんですよね。肩の力が抜けたというか、気持ちがすごく楽になったというか。なんでそうなったのかはうまく説明できないんですけど、経験した人にはきっとわかる感覚だと思います。ただね、唯一、奥さんに「愛してる」だけは、いまだに照れくさくて言えないんですけどね(笑)。
倉橋:そこはぜひ言ってほしいです(笑)!
清田:いや、本当にそうですよね(笑)。あともうひとつ、病気を経験してからよく考えることがあって。日本人の平均寿命って、男性がだいたい83歳、女性が87歳くらいじゃないですか。もちろん自分が白血病を経験してるから、そこまで生きられるかどうかはわからないんですけど、仮に83歳まで生きられるとしても、あと1万日くらいしか残ってない計算になるんですよね。そう考えると、今この1時間だって、その1万日から確実に減ってるわけで。だったら、その1秒1秒を、自分のために楽しく過ごした方がいいじゃないですか。しかもどうせなら、ビジネスも成功したほうがいいし、お金もあった方がいい。楽しくて、ちゃんと稼げて… それが理想ですよね。逆に、面倒な仕事とか、ネガティブなことばかり言う人とか、こっちが気を使い続けないといけないような人って、世の中にやっぱりいるじゃないですか。前だったら無理して付き合ってたかもしれないけど、もう今は行かないですね。だって、その人と過ごす1秒すら、自分の大事な時間から減っていくわけで。だったら、その時間をもっと前向きに、自分の人生に使いたいなって思うんです。
倉橋:一日一日をそんなふうに大切に生きるって、言葉で言うのは簡単でも、実際にはなかなかできないことですよね。清田社長のお話、改めて自分の時間の使い方を見つめ直すきっかけになります。
ぶれない信念とともに、未来を
託す“事業承継”のかたちとは
倉橋:清田社長ご自身が、ぶれない価値観を持っていらっしゃるからこそ、会社の方針や判断にも一貫性があるように感じます。そんなご自身の経験や営業のノウハウを、社員の皆さんへはどう伝えていらっしゃるのでしょうか?今後は「事業承継」もお考えかと思いますが、そのあたり、これからどのようにバトンを渡していこうとされているのか、ぜひお聞かせください!
清田:そうですね…私の中では、「変えられるのは環境と自分だけ」っていうのがずっとあって。人は変えられないと思ってるんですよ。だから、私がやれるのは、自分を変えることと、環境を整えることくらいなんですよね。もちろん、後輩や若い社員に「俺ならこうするよ」とか、「20代の頃はこうしてたな」とかは伝えますけど、あくまで聞かれたら、です。自分から押しつけるようなことはしないですし、最終的にやるかどうかは本人の自由ですから。あとは、私の座右の銘でもある山本五十六の言葉、「やってみせ、言って聞かせて…」の精神ですね。私自身が現場の叩き上げなので、例えば新入社員が困ってたら、今でも一緒にやってみせることができますし、そういう姿勢はこれからも大事にしていきたいなと思ってます。
倉橋:なるほど…「環境と自分しか変えられない」というお言葉、本当に刺さりました。そして、それを“やってみせる”という姿勢で実践されているのがまた素晴らしいなと感じます。そうした信念の先に、清田社長はこれからどんな会社をつくっていきたいとお考えなんでしょうか?
清田:最近って「DX」だの「AI」だの、いろいろ流行ってるじゃないですか。もちろんすごい技術なんだけど、あれって結局、東大卒の優秀な人たちとか、資金も技術もあるベンチャーとか、そういう人たちがつくってるものばかりで。でも日本って、中小企業が全体の95%以上を占めてるんですよ。そこに対して、いきなりハイスペックなソリューションを高額で売るっていうのは、ちょっと違うと思ってて。うちのような現場感のある企業が、そこを変えていきたいんです。私が最近よく言ってるのが、「スモールAI」とか「スモールIoT」。要は、“中小企業がちゃんと使いこなせて、しっかり儲かって、社員の給料も上がる”っていう、本当に現実的なソリューションを提供していきたいんです。それが実現できれば、日本の中小企業全体が底上げされて、国の経済も自然と良くなるはずなんですよ。だから私にできるのは、中小企業で面白いことをやってる社長たちとつながって、一緒に成長していくこと。そういう人たちと出会って、応援して、一緒に伸びていけるような土壌を、愛電ホールディングスとして作っていきたいと思ってます。それが結果的に、会社の価値にもなっていくと思うし、私自身もめちゃくちゃワクワクしながらやってます。
倉橋:清田社長のお話を伺っていると、どの言葉にも「本気」が込められていて、聞いているこちらまでワクワクしてしまいました。技術の進化に対しても、経営に対しても、そして人とのつながりに対しても、ぶれない軸を持ちながらチャレンジされている姿がとても印象的です。
あっという間にインタビュー終了の時間となってしまいましたが、本日は貴重なお話を本当にありがとうございました!!これからも、その情熱で中小企業の未来をどんどん明るく照らしていってくださることを、心から楽しみにしています!
入社式をはじめ、現場で社員一人ひとりを大切に想う清田社長の姿勢がにじみ出ます。病気の治療を経た今、以前のように釣り竿を手にすることはまだ叶っていないそうですが、「また海に出られる日を楽しみにしている」と語るその笑顔に、前向きな生き方と再起への力強さを感じました。
会社概要
【事業内容】
・自動制御機器製品の販売
・制御盤の設計・製作・取付工事
・シ-ケンス制御・各種ソフトウエアの製作
・労働者派遣事業
・上記各号に付帯する一切の事業
【所在地】
〒130-0002 東京都墨田区業平1-1-9A棟5F
(TEL)03-5608-7690
(FAX)03-5608-7697
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