リーダーシップへの舞台裏Vol.6 ~今を駆ける社長のインタビューシリーズ~
目次
不撓不屈の精神と「恩送り」の信条で未来を創る!
何事にも全力投球で成長し続ける IT 業界のトップリーダー
幼い頃から、山あり谷ありの波乱万丈人生を送ってこられた天間社長。
今回は、そんな天間社長の生い立ちから、倒産を経験した時のこと・これから起業や独立を考えている人へのアドバイスまで、じっくりとお話を伺いました!
【プロフィール】
1968年2月2日 長野県須坂市で、当時工務店を経営していた両親のもとに生まれる。
将来は設計士になる事を夢見ていた小学校3年生の時、父の会社が倒産し、その後は高校卒業までの8年間を青森県天間林村(現七戸町)で過ごす。
高校卒業後は営業職として横浜で社会人デビューするも、数年後、I Tは建築士と同じ人の未来を作る仕事だと感じ、没頭。 35歳で起業し、「恩送り」を信条として設立4年目から新卒採用を続けて22年目を迎えるIT企業を率いる。
プライベートでは、運動や旅行、料理など多趣味に活動するほか、宇宙旅行をしたいという将来の夢も語る。
設計士を夢見た子ども時代――波乱万丈人生の幕開け
林:さて、第6回目となる今回は、株式会社コミットの代表取締役、天間晃彦さんにお話を伺います!
実は今、天間社長には弊社のシステムを預かっていただいているんですよね。おかげさまで、弊社はどこからでもオンラインで仕事ができるようになって、本当に助かっています。私にとって、天間社長との出会いはまさに運命ですよ(笑)。いつも本当にありがとうございます!
それでは、本日のインタビューもよろしくお願いします!
まずは、天間社長の会社の概要と、事業内容についてお聞かせください。
天間:はい。僕の会社は、株式会社コミットといいまして、現在は東京の虎ノ門にオフィスを構えております。
今年の3月で22年目に入る会社でして、事業内容としましては大きく2つあります。まず1つはシステム開発です。主にネットワークやサーバー、皆さんが使うPCの端末など、そういったインフラの環境整備の要件決定から設計構築までやっています。具体的に言いますと、日本最大のシステムインテグレーターであるNTTデータさんとタッグを組んで、主に金融機関や官公庁のシステム開発をして、それを保守運用していくというところの一角をさせていただいています。
そしてもう一つは、DX事業です。まさに今、亜由美先生にも使っていただいているような、パソコンを遠隔で操作できるというシステムがあるのですが、そのクラウドをしっかり守ることで、情報漏洩から会社を守る、というような仕事をしております。
林:ありがとうございます!
ところで、一度じっくりお聞きしたかったのですが、天間社長の生い立ちや、子どもの頃の将来の夢をお話しいただけますか?
天間:はい、濃いですよ~(笑)。
僕は長野県須坂市というところで、工務店を営んでいた両親のもとに生まれました。当時は自宅と会社が一体化していましたので、朝から職人さんなど多くの人が集まってくる賑やかなお家でしたね。
そんなところで育ちましたので、幼い頃は父のような設計士を夢見ていて。父と一緒に机を並べて、父が書いた設計図面の裏側に、僕が色鉛筆で色を塗っていく、というようなことをしていた記憶があります。 その後、僕が小学校3年生の時に、連鎖倒産というところもあったと思いますが、資金繰りが追い付かず、父の会社が倒産することになったんです。
その時に債権者会議というのがあったのですが、会社=自宅ですから、自宅の居間に20人ぐらいの業者さんが並ぶんですよ。そしてそこで、両親が正座をして頭をさげているところを目撃する、という…今思えばドラマみたいな経験をしましたね。それで最終的には、自宅も何もかも手放して、裸一貫で父の故郷の青森に引っ越すことになりました。
引っ越した先の青森でも、父はまたチャレンジして土木業の会社を作ったんですよ。ところが僕が中学生の時に、両親と会社の重役が乗った車にトラックが突っ込んで、3人とも病院へ運ばれ…結果的には事業継続できなくなり、2度目の倒産(休眠)となりました。
そんな家庭環境でしたから、高校卒業後は大学へ進まず、働くことにしたんです。それが僕の社会人デビューですね。
林:濃い!!本当にドラマのような経験をされていますね。
働くうえで常に大切にしてきた“人との繋がり”
林:それで、高校を卒業されてから現在の会社を起業されるまでには、どのような経緯があったのでしょうか?
天間:高校を卒業してからまず就職したのは、横浜にある、光通信を取り扱うような営業会社でした。そこで完全歩合制の営業職として3年ほど勤務した頃、当時システムエンジニアをしていた同級生から声がかかって。「出資者がいて、システムエンジニアの会社作ったんだけど、営業がいないから来てくれないかな?」って言うんですよ。その頃の僕は、営業職としてなんとなく独り立ちした時だったので、「いいよ、力貸してやるよ」みたいな感じで引き受けました。
林:最初は営業職だったんですね!
天間:そうなんですよ。でも、システム会社の営業って何すると思います?
林:システムを売るんだから、そのシステムについての説明とかでしょうか?
天間:そう思いますよね。それが全然違うんですよ。例えば、協力会社さんのところへ行ったり、スキルシートを使ったりして「うちの技術者に仕事ありませんか」と仕事を探しに行く、いわゆる人材派遣会社のような仕事だったんです。
とはいえ数人の会社ですから、そんなに営業の仕事は無くて。だったら現場に行ってちょっと仕事手伝おうかなと思って、営業の傍ら現場の見習いみたいなこともしてましたね。
でも、若干21~2歳で、経営の「け」の字も知らないような状況の中、出資者にそそのかされて会社を立ち上げたような状態だったので、そうこうしているうちに借金だけが膨らんできて…結局その同級生の会社も倒産しました。
倒産した時には途方にくれましたが、幸いにも、営業で回っていた時の取引先だった人から「困ってるならうちを手伝わない?」と声をかけていただいて、23歳の時に、フリーのエンジニアとして雇ってもらうことになったんです。
林:営業職から一転、エンジニアに?エンジニアの知識はいつ習得されたのでしょうか?
天間:エンジニアといっても、最初の頃は雑用ばかりで、使いっ走りです。
例えば会議の議事録を作成したり、課題管理簿の作成やチェックをしたり…エンジニアとは呼べない状態でのスタートでした。けれども、そういった雑用をやっているうちに、職場の先輩方が、プログラムの読み方やルールなんかをちょこちょこ教えてくださるんです。それに、会議への参加を積み重ねていくと、誰がどんな役割で、何を目的にどんなことをしているのかがわかってくるんですよね。
そんな感じで、雑用の中でも常にアンテナを張りつつ、自分でも少しずつ勉強しながらエンジニアになっていきました。
林:そうだったんですね!そうやって独立したのが23歳の時ということですが、個人事業としては何年間続けられたのでしょうか?
天間:35歳の時に今の会社を立ち上げましたので、個人事業としては12年間ですね。
林:その間はずっと一人でやっていたんですか?
天間:はい、32~3歳ぐらいまでは一人でした。ただ、30歳の時に結婚をしまして、サラリーマンになろうかと考えた時期もあったんですが、就活したり先輩に相談したりした結果、僕はサラリーマンに向いていない、という結論に至りまして(笑)
林:そうでしょうね(笑)
天間:それから仲間集めを始めて、5人ぐらい集まった頃に、まずは資本金300万円で有限会社コミットを設立したんです。その時の仲間は、使用人ではなく業務委託という形で2年間やってもらって、700万円貯めて、それを会社に増資して、 2005年に資本金1,000万円で株式会社コミットを設立しました。
株式会社コミットになってからは、仲間たちに社員になってもらって。その年には売り上げが1億5,000万円ぐらい出たんですが、その分の税金がなんと800万円!やはり会社の税金は結構大変だなと痛感しましたね。
同時に、そんなに税金をとられるんだったら、利益を出すよりも社員を採用して育成したほうがいいと思うようになり、翌年から新卒採用をするようになりました。まずは3人、次の年は4人、その次の年は5人…というように少しずつ増やしていき、その後しばらくは毎年5~6人の採用を続けていましたが、コロナ禍に入れった一昨年からは“優秀な人材を得られるチャンス”ととらえ、2桁採用に切り替えました。それで一昨年は12人、去年は過去最高の17人、そして今年は11人の採用です。ちなみに、この17年間での新卒採用者のうち、60%が現在も会社に残ってくれているんですよ。
青森出身で青森を愛してやまない「青森大好きAOsuki」に所属し、イベントにも参加する天間社長。
天間社長とは本当に一緒にいろんなところに行ってます!
ホノルルマラソンにも一緒に出ました!
林:60%とは、かなり残ってくれていますよね!多くの新卒採用者が会社を離れずに、そうやって長い期間を勤務し続けられるのには、何か秘訣があるのでしょうか?
天間:一つの会社で長く勤務し続けるために大事なのはやはり、人との繋がりだと思います。
実際のところ、弊社には「恩送り」という信条がありまして、先輩から受けた恩は後輩に返そう、ということを実践しています。加えて、この「恩送り」の考え方に共感していただけるかどうかということも、採用時の判断材料にしていますので、弊社の中で「恩送り」が社員同士の結びつきのひとつのルールになっているのではないかなと思っています。
林:人との繋がり、大事ですよね。「恩送り」で繋がっていくんですね。
3度もの倒産を経験したからこその、天間流『起業の心得』
林:山あり谷あり、本当に様々な経験をなさっている天間社長ですが、個人事業時代も含めて、これまでに一番苦しかった時ってどんな時だったのでしょうか?
天間:いやぁ、いろいろありますが、一番苦しかったのはやはり資金繰りですね。特に、経理を雇えるようになった5年目ぐらいの時、ふと帳簿を見たら、会社の通帳残高が10万円を切っていたんですよ。これ、実は消費税納税のタイミングを把握できていなかった、というのが原因なんですけれども、それまでの5年間、無借金かつ黒字経営だっただけあって、本当に顔から汗が出るほど驚きましたね。その時は結局、2,000万円借りて…通帳で2,000万円を確認した時の安堵感と言ったら、半端なかったです(笑)。
林:安堵感、分かります!とりあえずお金があれば大丈夫だからね(笑)。
では逆に、一番嬉しかったことは何でしょうか?
天間:嬉しかったことは、社員の人生の幸せな場面に立ち会えたことですね。
結婚式にはかれこれ10回ほど出席させていただきましたし、その後も出産や新築などの節目節目に立ち会わせてもらいましたが、そういうのってやはり嬉しいですよね。
新卒採用をしてもなかなか続かず辞めていく時代、でもコミットには半数以上の新卒の皆さんが残っている状況ってとってもスゴイ!天間社長が掲げる「恩送り」の精神、その想いがちゃんと社員の皆さんに浸透しているのを実感します。
林:それって、社員のみなさんの勤続年数が長いからこそのことですよね。
先輩たちを見ていれば、キャリアプランを作らずとも未来が描けるなんて、素晴らしい職場環境だと思います!
では、そんな社員に期待することや、社員への思いも聞かせていただけますか?
天間:はい。やはり社員には「成長してほしい」と思っています。
例えば、お客さんに「ありがとう」と言ってもらえるような良い仕事ができる人材になってもらいたいし、最終的には社会的な価値の高い人間になってもらいたいですね。
そうすれば、シンプルに楽しくなりますし、成功事例を後輩たちに伝えることもできますから、人間性も含めて知識や経験というところをどんどん成長させていってほしいと思います。
林:それでは最後に、これから起業や独立をしようと思っている人へ向けてのアドバイスをお願いします!
天間:はい。一番大事なことは「諦めない」ということですね。たとえ小さなことでも、決めたことは中途半端にせずに最後までやり遂げること。それが信頼の積み重ねになるし、実績になりますから。 もしも途中で、「これ泥船に乗ったな」と思っても、その泥船をちゃんと目的地まで連れて行くぞ、ぐらいな気持ちが必要です。まあ、泥船には乗らないことが一番なんですけどね(笑)。
起業や独立してリーダーになるからには、しっかりと旗を持ってまっすぐ目標に向かって走ってください!
林:天間社長の言葉は説得力ありますよね…さすがです!
ということで、今回のインタビューもあっという間に終わってしまいました。
普段なかなか聞けない、とても濃いお話をたくさん聞くことができて、とても楽しかったです!
ちなみに、趣味でお料理もされるという天間社長、そのうちご自宅に私を呼んでください(笑)。食べに行きます!
本日は、本当にありがとうございました!
会社概要
【会社名】株式会社コミット
【事業内容】System Integration、クラウドPC Grooowデジタルイノベーションコンサルティング情報システム管理業務のアウトソーシング
【所在地】〒105-0001東京都港区虎ノ門1-3-1東京虎ノ門グローバルスクエア10階
(TEl)03-6433-3311
【HP】https://www.comit.co.jp
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