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リーダーシップへの舞台裏Vol.3 ~今を駆ける社長のインタビューシリーズ~
目次
ご縁を大切にして、義理人情に厚い。確固たる信念を持ちながら、ユーモアも忘れない “プロフェッショナル”
わずか四畳半の場所からスタートし、中堅社員の離散という苦境も経験された鈴木社長。一体どのようにして乗り越えてこられたのでしょうか。また、社員に対する思いや、社長にとっての”プロフェッショナル”についても、その深いお考えを伺いました!
【プロフィール】
1961年生まれ。
小学生の頃、大阪万博で出会った「月の石」の影響で宇宙に興味を持ち、ロケット科学者を夢見る。
算数が好きで理系の道へ進み、専門学校時代には将来を見据えコンピューターについて猛勉強。
1982年に同学校卒業後、コンピューターメーカーに就職するも転職を繰リ返し、1987年に前職となる金融系システム会社へ就職。同社で約11年勤めた後に独立する道を選び、1998年に株式会社エス・エヌ・シーを設立。
その後2013年には、仙台に株式会社エス・エヌ・テクノロジーを設立するなど、事業展開を進めている。
プライベートでは、スキー、温泉、ドライブ、鉄道…など多趣味に活動する。
宇宙を夢見た少年が独立するまでの軌跡
林:第3回目となる今回は、私たちとのお付き合いが25年にもなる、株式会社エス・エヌ・シー代表取締役 鈴木幸市社長にお話を伺います!
鈴木社長、どうぞよろしくお願いします。まずは、会社の概要と事業内容などをお話しいただけますか?
鈴木社長:はい。私の会社は、ソフトウェア開発を行っております。ソフトウェア開発と言いましても、「特定分野で戦おう!」と設立した会社ですので、金融業の中でも保険業専門のソフトウェア開発業を営んでおります。
林:今は東京に事務所を構えていらっしゃいますが、会社設立当初は川越のマンションの一室でしたね。鈴木社長が現金出納帳をつける、というところからスタートして…
鈴木社長:その通りです。川越で、四畳半から。
林:そこからもう25年!本当に長いお付き合いいただき、ありがとうございます。そんな鈴木社長ですが、子どもの頃になりたかった職業は何だったのでしょうか?
鈴木社長:そうですね、子どもの頃は、サラリーマンにもなりたくないし、こうやって会社をやると思ってもいなくて。今でも覚えているのは、小学生の時の作文に、
「ロケットを飛ばす科学者になりたいです!」と書いたんだよね。確か、小学5年生の時でした。当時、宇宙に関するマンガやアニメが身近にありましたし、何より大阪万博の時に、アポロが持ってきた”月の石”が大阪に来たんです。それを何時間も並んで見に行きましたから、その影響かもしれませんね。
林:そんな鈴木少年が、なぜ今のお仕事に繋がったのでしょうか。
鈴木社長:私はもともと算数が好きだったので理系の道に進んだのですが、その頃はまだコンピューターやパソコンなんか無い時代でした。計算なんかも電卓じゃなくって”計算尺”を使ってたから(笑)。そこで将来のことを考えた時に、やはり最前線に立てることをやった方がいいだろうと思い、専門学校生の時にコンピューターの勉強を始めたんです。
専門学校卒業後は、とあるメーカーに就職したものの、自分のわがままで転職を繰り返し最終的には前職の会社に落ち着き、結局12~13年ほど勤めましたね。そしてその後、独立して今に至っています。
林:前職で長く勤められていたのに、独立しようと思ったきっかけは何だったのでしょう?
鈴木社長:きっかけとしては、こんな仕事の仕方では人が疲弊するだけで、技術は残らないし儲かりもしない、と思ったことですね。
…というのは建前で、本当は上司と大喧嘩したことがきっかけなんです(笑)
林:なんとも社長らしいですね(笑)でもそこで、他の会社に勤めるよりも、独立を選ばれた?
鈴木社長:そうですね。その時は残りの人生を考えました。成功すれば、今以下にはならないだろうし、もし失敗して今以下になっても、食うには困らないし何とかなるんじゃない?という感覚でスタートしました。当時は36歳で若かったからね。今だったら考えられないけど。
林:でも、独立することって、そういうものなのかもしれませんね。いろいろと用意周到準備していたら、私も独立できなかったかもしれない、と思います。
鈴木社長:そうだね、きっかけはこんな感じだったけど、独立についての考えは前々から思っていたことだったので、一回やってみよう、というのが自分の思いだったよね。
林:それで、独立してみていかがでした?
鈴木社長:二度とやりたくない!そう思います
(笑)。
林:あはははは(笑)!鈴木社長が「二度とやりたくない!」とおっしゃる相当なご苦労のこと、少し聞かせてもらいます。
“死”を意識するほどにつらい…そんな状況を救ってくれた大切な存在
林:この25年間の中で一番大変だったときのこと、辛かったことは何でしたか?
鈴木社長:まあ、苦しいといえば、まずは会社を立ち上げたばかりの時、お金がなかったよね。従業員に給料を払うと、自分の昼食代が無くなってしまって。従業員に「おい、ご飯おごってくれよ」なんて言っていたころは苦しかったなぁ。
でも、そんなお金がないっていう辛さよりももっと辛かったのは、今から6年ぐらい前になるかな。会社を出ていく人がいて、その人が中堅社員で。その後に仕事が回らず会社が危うくなった時は、本当につらかったね。人ってこういう時にいろんなこと考えるんだなって思った。もう死んじゃったほうがいいかな、なんてことも頭の中をかすめたくらい。
でも、借金もあるし、そんなことをしても仕事の責任は取れないし。でも従業員だっているし、お金だけでも何とかするか…?とか、”死”を意識するほどにそれはもう本当につらかったよね。
林:そうですよね。私も経験がありますけど、人が離れるっていうのは、本当に事業をやっていて一番つらい事ですよね。
鈴木社長:そう、本当に精神的につらい。お金がない、っていうのはまだ踏ん張れるんだよね。でも人が離れるっていうのは、自分自身が人を不審に思うようになって、自分にも自信が無くなって…
林:本当にそうですよね。そういう状況を、社長はどのように乗り越えたんでしょうか?
鈴木社長:痩せた!体重を減らして乗り越えました(笑)運動も食事制限もなく、76キロが現在60キロ(笑)!
…というのは冗談として、真面目な話、本当に何をしていいか全然分からなくて、途方に暮れていましたよ。初めの数か月は悲しみと怒りだけで、他は何も考えられなかったから。
でもそこから、副社長と一緒にいろいろ考えた挙句、今できることをひとつひとつやらなきゃいけないね、と原点に立ち返ることができて。そう考えられるようになったきっかけは、当時まだ小さかった我が子です。「こいつがいるからな」って思った時に、できなくてもなんとかする努力をしないとな、と前を向き直すきっかけをくれましたね。亜由美先生だから分かると思いますが、かわいいやつなんです、あいつがいてくれてよかったと思いますよ。
林:本当に、家族や子どもって、心の支えですよね。その苦しかった事を乗り越えて…
鈴木社長:いや!まだ乗り越えてない(笑)!もうちょっとだな!知ってるくせに(笑)
林:はい!もうちょっとです!では、もうちょっとで乗り越えられる社長ですが、あのときの自分に声をかけてあげるとしたら、なんて伝えます?
鈴木社長:「遊べ!」かな。今もそうだけど、遊べてなくてやることがないと「会社行こ」って思っちゃうんだよね。そんなふうに仕事ばっかりになっちゃいけない、遊びを考えられてないって余裕がないことだからね。
林:「遊べ!」って、いい声かけですね。たしかに余裕がないとどんどん苦しくなっちゃいますからね。逆に嬉しかったことってなんですか?
鈴木社長:そうだな、嬉しかったことも色んな場面で色々あるけど、独宜して最初に嬉しかったのは最初の決算かな。最初の決算で利益を出せて、その利益でみんなで東京湾クルーズで飯食ったのが嬉しかったな。その後預金残高1000円になっちゃった時もあって焦ったけど(笑)。あとは、初めて社員旅行に行けたことも嬉しかったな。
8年前、鈴木社長率いる社員旅行
(とっても広くてキレイな仙台の温泉 旅館!)にお供した時のもの。創業当初から社長はとってもパワフルで、仕事好きの私が見ても誰よりも仕事をしていた印象があります。毎期増収増益で、出した利益で毎年社員旅行に連れて行ってくれました。みなさん本当に心から楽しんでいて……あの時の様子が懐かしい!いいひとときを目の当たリにして、とても感動したのを覚えています。
林:はい、覚えてます!仙台のすごく広くてきれいな和室で宴会しましたよね!今もその写真を持ってますよ!
鈴木社長:あの旅館、良い旅館だったよね。
社員もみんな「楽しかった!」って言ってくれて。
あと、最近嬉しかったことは、さっきの辛かったことの出口も見えてきた時、一番大きな取引先の部長が「社長が動かなくても、副社長含めてその下の人間が動いてくれるからもう大丈夫だね」と言ってくれたこと。涙が出るほど嬉しかったよね。
時代に即した教育方針と、”プロフェッショナル”の心意気
林:先ほどお話しいただいたように、とても苦しい時期を経験されてきた鈴木社長ですが、社員の教育方針でこだわっている部分や、社員に期待していることなどあれば聞かせてください。
鈴木社長:これまではいわゆる”スパルタ”が当たり前のような時代だったから、とにかく短期間で詰め込む教育方針だったんです。でも現代では、それは通用しない。だから、会社として「人が育つ環境」を準備するという方向に切り替えていきました。下手すると、これまでの3倍ぐらいの時間がかかるんですが、社員には育ってもらうしかありませんからね。
「育ってください」って言うだけでは育たないし、水だけじゃなく肥料もあげないと枯れてしまうし…
けれども、人間育成をするつもりはないんです。技術を教えることは出来ても人としての道を示すことなんてできない、と私は思っていて。ただ、仕事をやるとなったら、信用されたり、「ありがとう」と言われたりするような仕事ができる人になって欲しいとは思っていますね。
林:人を育てるのって、根気もいるし、時間もかかりますよね…でも、鈴木社長の、仕事に対する取り組み方や考え方は、社員へしっかりと伝わっていると私は思います!
そんな鈴木社長のプロ意識を、私は昔から尊敬していますが、社長にとっての”プロフェッショナル”とは何でしょうか?
鈴木社長:”プロフェッショナル”ってなんだろうね…難しいですが、自分のやっている仕事に責任を持つように仕事をしなければならない、という考え方や姿勢かな。例えば、社長業でも、技術職でも営業でも、その分野分野の仕事を、目一杯その人なりの精一杯で仕上げる、という気持ちを持ち続けることが大事だと思うんです。仕上げること自体ではないんですよ。諦めない気持ちをいつまでも持ち続けられるかどうか。今を諦めなければ、どんな意味でも”プロフェッショナル”になれるんじゃないか、と思っていますね。
林:確かにそうですね。「今を諦めない」大切なことです。
「人間教育をするつもりはない、教えてあげられるのは仕事の技術くらい」とおっしゃっていた鈴木社長ですが、新人育成一つとっても、時代の変化を考えて「丁寧に育てる」を意識され、社員の家族も招待してのイベントや旅行もやっておられます。
社員はもちろん社員の家族も大切にし、厳しいけれど愛がある社長を尊敬しています!
時代に即した教育方針と、”プロフェッショナル”の心意気
林:では最後に、鈴木社長のこれからの夢をお聞きするのですが、昔からずっと言っている軽井沢での「焼き鳥屋」か「ラーメン屋」という夢は、今も健在ですか?(笑)
鈴木社長:焼き鳥屋は消えたかな(笑)。焼き鳥は串打つのにかなりの修業がいりますし、ラーメンなら、出汁さえ当たればいけるのではないか、と(笑)。まあ、そんな簡単じゃないとは思いますが。どちらにしても、ゆくゆくは人を前に相対してみたい、と思っていますね。
それから会社としては、お金と時間と社員数に余裕があれば、自社グループの会社をもっとたくさん作りたいな、と思っていますね。
林:それは、例えば今在籍している社員を新会社の社長にする、ということですか?
鈴木社長:えぇ、社員を社長にしてもいいし、新しい人を充ててもいいし。そうやってグループ会社の数が増えて、一緒に仕事ができたら面白いな、と思うことはありますね。
林:本当に、そういうことができたら楽しそうですね!もしかしたらその中には、異色の人がいて、「ラーメン屋をやろう!」っていうことになるかもしれませんね(笑)
鈴木社長:そうそう、大歓迎(笑)
林:そのときはまた、私に税理士を務めさせてくださいね。
ということで今回は、昔から口が悪いけれど本当は義理人情に厚くて優しい(笑)、そんな鈴木社長の深いお考えを、ユーモアたっぷりにお話しいただきました。ありがとうございました!!
会社概要
【会社名】株式会社エス・エヌ・シー
【事業内容】生損保に特化したシステム開発、コンサルテーション業務、基幹系システム開発業務、 WEBシステム開発業務、その他関連サービス
【所在地】東京都中央区銀座8丁目8-5 陽栄銀座ビル5F
(TEL)03-6253-8831 (FAX)03-6253-8832
【HP】http://www.snc-s.co.jp/
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