リーダーシップへの舞台裏Vol.30 ~今を駆ける社長のインタビューシリーズ~

目次
~当たり前の暮らしを、当たり前に~
揺るがぬ信念で、福祉の現場を問い続ける
「自分が障害者だったらどう生きたいか」を基準に、グループホームや支援の在り方を模索してきた阿部理事長。50年以上に渡り、“人の暮らし”を真ん中に据えた判断を積み重ねてきたからこそ語れる、福祉の現実、葛藤、そして次の世代への想い。静かな言葉の一つひとつから、阿部理事長が描く「これからの福祉のかたち」に迫ります。
【プロフィール】
1948年生まれ。
東北福祉大学 社会福祉学部 社会福祉学科卒業後、国立秩父学園附属保護指導職員養成所にて児童指導員科を修了。
24歳から知的障害児・者施設の現場に入り、北海道から埼玉まで、複数の社会福祉法人で実務経験を重ねる。施設職員、施設長、センター長などを歴任し、2001年より中新田自立スクエア施設長に就任。2009年、社会福祉法人新発足後も現場運営の中心を担い、2022年より理事長専任。
現在は狭山市自立支援協議会代表者会議会長も務め、地域全体での障害福祉の在り方にも向き合っている。
休日は自宅でYouTubeを見たり、ゆっくり温泉に浸かったりする時間を大切にしている。
「施設」は、正直“好きじゃなかった”
──現場で芽生えた違和感
倉橋:さて、この「リーダーシップの舞台裏」のコーナーも、第30回目という節目の回を迎えました。記念すべき今回は、社会福祉法人新(あらた)の理事長、阿部広治さんにお越しいただいています!そして阿部理事長のお隣には、お久しぶりに林亜由美先生にもご同席いただいています。お二人とも、本日はどうぞよろしくお願いいたします!
阿部:はい、よろしくお願いします。
林:今日は本当に楽しみにしていました。しかも阿部理事長、ちゃんと台本まで準備してきてくださっているんですよね。ありがとうございます!でも……ちょっと緊張されていますよね(笑)?今日はぜひ、インタビューというよりも、おしゃべりするくらいの感覚で、リラックスしてお話しくださいね。
倉橋:そうですね、堅苦しくなくいきましょう(笑)。では早速ですが、社会福祉法人新の概要や、現在取り組んでいる主な事業内容についてお聞かせいただけますか?
阿部:はい、ありがとうございます。私たちは、埼玉県狭山市・川越市を中心に、障害のある方が地域の中で自分らしく暮らしていけることを大切にして支援を行っている福祉法人です。現在は、生活介護や入所・短期入所支援、児童発達支援・放課後等デイサービス、就労継続支援B型、8つのグループホームなどの施設を運営していて 、子どもから大人までライフステージに応じた幅広い事業を展開しています。
倉橋:今では多くの施設を運営されているとのことですが、ここまで広がるまでには、きっとさまざまな転機があったのではないかと思います。法人としての始まりについて、改めて教えていただけますか?
阿部:はい。もともとは1987年に「三恵福祉会」という法人ができて、川越に定員30名の通所授産施設ができたのが始まりなんです。その後、定員50名の入所更生施設「中新田自立スクエア」ができて 、私はその2つしか施設がなかった頃に入ってきました。そこから、少しずつ施設を増やしながら、2009年に法人名を「三恵福祉会」から「新」へ変更し、さらに事業を拡大してきたという流れですね。
倉橋:そうだったんですね!こうして少しずつ施設を増やしてこられたわけですが、単に規模を広げるというより、「こうありたい」という思いがあっての展開だったのかなと感じました。そのあたりはいかがでしょうか。
阿部:そうですね。正直に言うと、私はずっと「施設」という形があまり好きじゃなかったんですよ。50人もの人が毎日同じ場所で、同じ時間に、同じ作業をする。夜になっても自分の部屋がなくて、2人部屋、もっと前の施設では4人部屋が当たり前でした。そんな環境で、二十歳を過ぎた大人が、いつまで集団生活を続けるんだろうって。どの家庭でも、普通は自分の部屋がありますよね。でも、施設に入っている利用者にはそれがない。「もし自分が障害を持っていたら、これは嫌だろうな」――そういう考えが、ずっと頭の中にありましたね。そんな時、中新田自立スクエアの施設長就任というこ゚縁をいただいて。「ここならできるかもしれない」と思ってまず一つ、グループホームをつくろうと決めたんです。そこから、どんどん広がっていきましたね。

24歳で現場に立ってから50年以上、北海道から埼玉まで、障害のある子どもたちと真正面から向き合ってきた阿部理事長。「もし自分が当事者だったらどう生きたいか」̶̶ その問いは、この頃からずっと変わりません。
「普通の暮らしを、ただ当たり前に」グループホームという選択
林:そうそう、私も最初のグループホーム立ち上げに関わらせていただいて…当時はまだ、今ほどグループホームが一般的ではなかったのもあって、当初は理事のみなさんに反対されていましたよね(笑)。
阿部:そうですね、当時はまだ珍しかったですし、正直反対意見の方が多くて。でも私は、どうしても「普通の暮らし」を諦めきれなくて。障害があっても、普通の家で暮らして、鍵を持って、自分の部屋で眠る。それって、特別なことじゃないはずなんです。それで、理事を説得するために、私が林先生に「頼むからグループホームが儲かるっていう話をしてくれ」って頼み込んでね(笑)。無事に認可が降りた時にはホッとしましたよ。本当に、林先生のおかげです。
倉橋:へぇ~!さすが、亜由美先生の根回し力(笑)…!では実際に、”グループホーム”という形で支援を始められて、利用者の方の反応はいかがでしたか?
阿部:そうですね、まずはグループホームへの入居の前に、自活訓練事業としてマンションの一室を借りて、利用者が自分の力で6ヶ月間暮らせるようにしたんです。ごく普通の住宅です。実際にマンションでの生活を始めてみると、それまで長い間施設にいたもんだから、いざご飯を炊こう、という時に、洗剤を使ってお米と研いでしまう、なんていう出来事もありましたよ(笑)。でも、6ヶ月の入居期間が終わる時に、利用者の一人から「もう施設には戻りたくない」と言われたんです。その言葉を聞いたとき、「ああ、やっぱりそうなんだ」と思いましたね。
倉橋:すごく印象的なエピソードですね。
阿部:ええ。長い間、施設で何十人と一緒に生活していた人が、自分の鍵を持って、好きな時間にテレビを見て、夜は自分の部屋で眠る。それだけで、表情が変わっていくんですよ。そしてさらに嬉しかったのが、マンションを借りて暮らしていた利用者の方が、結婚したことです。誰かと出会って、一緒に生きることを選ぶ。障害があるかどうかに関係なく、本来は誰にでもあるはずの人生ですよね。もちろん、そこに行き着くまでは順風満帆ではありませんでしたよ。場所を探すのも大変でしたし、近隣からの理解を得るのにも時間がかかりました。家族からも心配の声は多かったですし。それでも、「この人たちがここで暮らせている」という事実が、何よりの答えでした。私はずっと、正解かどうかではなく、「自分が当事者だったらどうか」を基準に考えてきました。その答えが、グループホームだったんですよね。
倉橋:「自分が当事者だったらどうか」――その視点が、すべての出発点なんですね。

正しいと思うことを、曲げない
──揺るがない志
倉橋:阿部理事長が福祉の世界に入られてから50年以上になりますが、これまでを振り返ってみて、特に「これはきつかったな」と印象に残っている出来事はありますか?
阿部:たくさんありますけどね……。一番きつかったのは、越谷で施設長をやっていた頃かもしれません。当時の理事長と、現場の方針をめぐって意見が食い違うことが多くて。「こうしたい」という思いは、現場にいるとどうしても出てくるじゃないですか。でも、それが当然ぶつかるわけです。それだけじゃなく、不正に対して「それはおかしいんじゃないか」と言うと、逆にこっちが問題視されて。
その結果、施設長を降格されました。さらには岩手県にある別の施設に研修に行け、と。まあ、飛ばされたようなものでしたね。ただそのとき、利用者の保護者の方々と職員たちが私を守ってくれて。それにはとても救われましたし、本当にありがたかった。岩手の研修先の施設長もとても理解のある方でね、「阿部さん、一緒に戦おう」って言ってくれて。正直な話、ストレスで体調も崩していたんですが、岩手の施設に行って二か月ほどで治ったんですよ、不思議と。あのときは、感謝しかなかったですね。
その後結局、私は元の施設に戻ることになったんですが……戻ってみたら、「何もしなくていい。ここにいるだけでいい」と言われて。仕事が与えられないこと、それが一番辛かったですね。ただ存在しているだけなんです。
だから、その施設は辞めることにしました。47~48歳の頃かな。次が決まっていたわけでもないのに(笑)。でも、そのタイミングで、今の中新田の施設から声をかけてもらったんです。
倉橋:え~!お話を聞いていると、かなり危うい選択だったようにも聞こえます。
阿部:本当に、危ない橋をずっと渡ってきましたよ。私もちょっと不正をすれば楽だったのかもしれないんですが、40年以上真面目にやってきた人間が、それをやるのはどうしても嫌で。そこだけは絶対に変えたくなかったんです。そんなふうだったから、家族には迷惑をかけたと思います。でも、不思議と、そういうときには必ず誰かが助けてくれたんですよね。
だから、その信念―――どこからみても”正しい”という信念は、変えなくてよかったんだなって、今は思っています。
林:本当に、そうだと思います。私も、これまでにたくさんの社会福祉法人と関わらせていただいてきたから分かるんですが、福祉の世界って正直「隠す文化」がありますよね。でも、阿部さんはそこを見逃さなかったんです。
それに、ただ仕事としてやっているんじゃなくて、障害があってもなくても、みんなが普通に生きていける社会をつくる、そのためのインフラが福祉なんだ、という思いが一貫している―――そういう、福祉への熱い情熱を持ち続けていらっしゃるからこそ、阿部理事長のことを助けてくれる人が、自然と周りに集まってくるんだと思います。
倉橋:確かに、阿部理事長の言葉の端々から、熱い志が伝わってきますね。
阿部:別に人徳があるわけじゃないんですけどね(笑)。ただ、この仕事をしていると、いろんな人が少しずつ力を貸してくれる。それで今があるんだと思っています。
次の世代へ引き継ぎたいもの、これからの福祉のかたちとは
倉橋:さまざまな選択と葛藤を重ねながら歩んでこられたからこそ、今、未来に託したい思いがあるのではないかと思います。理事長として、そして長く現場に立ってきた一人として、その胸の内をお聞かせいただけますか。
阿部:そうですね…私なりに大切にしてきた考え方はあるんですが、それをそのまま次の世代に渡すべき、とは思っていなくて。いや、本音を言えばそのまま引き継いでほしいですけどね(笑)。でも時代も違えば、課題も違う。若い人たちには、彼ら自身のやり方があるはずです。ただ一つだけ、残っていてほしいものがあるとすれば、それは「人の暮らしを想像する力」でしょうか。制度やマニュアルの前に、「この人が、ここでどう生きるのか」を考える。その視点だけは、失われてほしくないと思っています。
倉橋:「人の暮らしを想像する力」というお話がありましたが、その視点の延長線上に、今、思い描いている構想はありますか。
阿部:親と子が一緒に暮らせるグループホームをつくれたらいいな、とは思っています。障害のある子どもを育ててきた親御さんが、高齢になっても安心して暮らせる場所。子どもも、親も、どちらかがどちらかを「支える側」「支えられる側」にならずに、自然に一緒に暮らせる形です。私の代で実現するかは分かりません。でも、こういう選択肢があってもいいんじゃないか、とは思っています。
倉橋:まさに、「人の暮らしを想像する力」から生まれた構想ですね。
林:本当に。”制度”じゃなくて”人”を見る、阿部理事長らしい形ですよね。
倉橋:本日は、貴重なお話をありがとうございました!制度や仕組みの前に、「この人がどう生きるのか」を考える。その姿勢が、これまでの歩みをつくり、そしてこれからの構想にもつながっているのだと感じました。
自分が当事者だったらどうか―――その問いを胸に、これからも新たな暮らしの形を模索し続けていかれるのだと思います。
本日は本当にありがとうございました!


50年の歩みの中で、忘れられない場面がいくつもある阿部理事長。マンションでの自立生活を経て結婚を選んだ利用者の姿や、施設とは思えない、温かみのある外観にこだわって開設した児童発達支援所(「暗くなりがちな場所にはしたくない」̶̶ それもまた、当事者目線から生まれた発想だったそうです)。そして、若い頃は利用者と一緒に汗を流し、悩み、ぶつかり、笑い合った日々。
正しいと思うことを曲げず、制度より「暮らし」を優先してきた積み重ねが、今の社会福祉法人「新(あらた)」の土台になっています。
会社概要
【事業内容】
●障害者支援
•生活介護
•入所支援
•短期入所日中一時支援
•児童発達支援
•放課後等デイサービス
●障害者各施設
•障害者支援者施設 中新田自立スクエア
•児童発達支援/放課後等デイサービス まるっこ
•共同生活援助 桜本部
•多機能型事業所 セラヴィ今福
•相談支援事業所 セラヴィ
【所在地】
〒350-1311 埼玉県狭山市中新田73-3
(TEL)04-2958-7832
【HP】
https://arata.or.jp/
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